日本とハワイには古くから歴史的に深いかかわりがありました。今でもなお日系移民の方々が人口の約4割以上も存在することから、日本とハワイの橋渡し的な役割をしたのが移民。
今回は日本とハワイの歴史をご紹介していきます。

ハワイへの移民が始まった1885年


ハワイでよく見かける日系移民の人々。なぜ、ハワイには日系移民が多いのでしょうか?その理由を紐解いてみましょう。

彼らの先祖が日本からハワイへと移り住み始めたのが1885(明治18)年のこと。ハワイへの日系移民の人たちは、それこそ最初は言葉もわからない状態。見知らぬ土地で様々な困難を乗り越えながら、長年にわたってハワイに日本の文化や伝統を根付かせてくれました。

ハワイに必要だったのは労働力


移民がはじまる約40年前に、ハワイ王朝では個人が土地を所有できるようになりました。当時、この流れをキャッチしたのがヨーロッパの資産家たち。次々とハワイの土地を買い始めたのです。購入した土地を利用して、彼らが始めたのがサトウキビ栽培。それはまたたく間にどんどん、規模が拡大し、サトウキビプランテーションや砂糖産業はハワイの一大産業へと発展していくことになりました。

すると、ハワイの人々だけでは、労働力がおいつかなくなり、ハワイ王朝が目を付けたのが外国の移民。とくに、中国、日本、ドイツやボルトガルなどの国に「ハワイのサトウキビ畑で働く労働力をわけてくれないか」と打診をするようになったのでした。

渡航のきっかけは明治維新

当時の日本と言えば、江戸時代の末期。ちょうど徳川幕府が政権を握っていた頃です。ハワイ王朝は徳川幕府からハワイへの移民を送ってもらうことを快諾してもらっていました。ところが、明治維新が起こり、政権が変わってしまうと、ガラリと状況が一変。徳川幕府が快諾したハワイへの移民を明治政府は認めなかったのです。

そこで当時のハワイ王朝とのやりとりを担当していた領事が、思い切って強行突破。強制的に、ハワイへ移民として153人の日本人を送りました。これが移民のはじまりです。

日系移民150周年

最初のハワイへの移民者たちは「元年者(がんねんもの)」と呼ばれます。その頃から、ちょうど約150年を迎えました。紆余曲折あったものの、今では150周年を記念した様々なフェスティバルが行われています。

政府斡旋から私的移民へ

当時の日本の農民たちは、なぜハワイへの移民の話に心を奪われたのでしょうか?見知らぬ土地へ行こうと思う大きな理由は「今よりもいい暮らし」を夢見てのことだったと言われています。しかし、実際には希望とは裏腹に、想像を絶するほどの苦しみに追われる過酷な環境だったようです。

正式な移民のはじまりは政府からの斡旋

最初の移民は領事の強硬策によりましたが、そののち1885年にハワイと日本の間に移民条約が結ばれました。これが正式な移民のはじまりです。当時は明治政府から斡旋される形で、サトウキビ畑で働く労働者として、ハワイへ渡航。政府が斡旋するので「官約移民」と呼ばれていました。当時の日本は幕末の混乱の中で、農村から都市へと労働力が移っているとき。いわゆる四国や九州地方の農村部にいた人たちが移民の対象となって斡旋されました。

官約移民の停止

最初の官約移民は約2万9000人。「財を蓄えられる」と希望に満ち溢れてハワイへ足を踏み入れた人々。とはいえ、順風満帆ではありませんでした。聞いていた労働事情とは全く違った厳しい労働環境などから、雇用者とのトラブルが絶えない日々。ついに、政府の斡旋による移民制度は1894年に停止されてしまいました。

日本の移民斡旋会社による移民の開始

奴隷のように扱われていた官約移民の時代。このような環境を変えるために、1894年以降は日本の移民斡旋会社による移民がスタート。これは「私的移民」と言われます。ちょうど私的移民が開始された数年後、1900年にハワイ領土併合法が発布され、ハワイはアメリカの州の一つとなりました。それにより移民事業が転換の時期を迎えることに。

というのも、アメリカの法律には「貿易、契約労働者禁止」がうたわれていました。そのため、労働契約が無効となり、日系移民たちは過酷な労働環境から解放されることになったのです。

結局、私的移民も1908年に停止されましたが、それまでに送られた移民の数は約10万人にも上るといわれています。その後、1924年に新たな法律の規定で、日本からの移民が禁じられるようになり、移民の歴史に幕を閉じることになりました。

今もハワイに残る日系人-高齢者の割合が高くなっている


移民が終了してからすでに94年が経過。今ではすでに日系2世、3世の時代になっています。彼らの中には日本に帰らず、ハワイに永住しようと決めて生きる人も多いです。彼らも歳を重ね、年々、高齢者の割合が高くなってきています。

第2次世界大戦後の移民の事情

第2次世界大戦後、アメリカ本土では日系移民は敵国の移民になるため、強制収容されました。ところが、ハワイでは日系移民が多く経済の中心となっていたこともあり、強制収容されなかったのです。

当時の日系移民の数はハワイの人口の約4割。これほど膨大な人数分の収容所を用意することの方が、経済的な打撃が大きいと考えられたのですね。この時代には日系移民はハワイを支える立派な労働力になっていました。

移民が支える今日のハワイ

戦後は移民の2世や3世によって、ハワイの経済が支えられるようになりました。日系移民の人口は今でもハワイの約42%を占めており、欠かせない労働力。もちろん、当時のような砂糖産業のみでなく、今では幅広い業種で自由に日系移民の人々が活躍しています。

写真花嫁とは?

ところで、「写真花嫁」という言葉をご存知ですか?移民が開始された当時、「写真花嫁」として、日本からハワイのサトウキビ畑へお嫁に来る女性がいたのです。写真一枚以外、何も知らずに。今日2世、3世と日系移民の歴史が続いているのは、そんな女性たちのおかげでもあるのです。

ハワイに残る日本らしい文化

日系移民の人々は、ハワイの生活の中で日本の文化を少しずつ表現していきました。そのなかには日系人のための医師、教師、僧侶などもいたため、日本のような寺院なども残されています。こうして、今日に至るまで日本の文化はハワイの文化とミックスして、徐々に根付いていったのです。

寺院

様々な日系移民の人々がいるため、宗教もそのまま持ち込まれました。寺院の数はなんと100以上。出雲大社・大宰府天満宮、平等院など様々。

例えば、ハワイ出雲大社は正月3が日などは日本人の初詣客で賑わいます。

・ハワイ出雲大社(Izumo Taishakyo Mission of Hawaii)
・オアフ島
・住所:215 N.Kukui St, Honolulu, HI 96817
・営業時間:8:30~17:00
・公式サイト:https://www.izumotaishahawaii.com/ja

盆ダンス


盆踊りにちなんで「盆ダンス」という踊りも楽しむこともあります。とくに、アロハシャツは日本の着物をヒントにして作られているそうです。浴衣代わりにアロハシャツというのもおしゃれですね。

スパムおにぎり

日本の食文化もいろいろと楽しめます。おにぎりは「スパムおにぎり」が有名。スパムおにぎりはスパムをスライスして、白米の上にのせて海苔ではさんだもので、コンビニやスーパーで大人気です。

歴史に触れられるスポット

ハワイのなかでもとくに歴史を感じられるスポットをご紹介します。ぜひ足を運んでみてくださいね。

日本文化センター


日本文化センターは1987年の移民100周年の際に創立されました。日系人1世や2世の培ってきた価値観や文化を継承することが大きな目的です。茶道、武道などの日本文化にちなんだワークショップの他、「おかげさまで」という常設展が有名。

・日本文化センター
・オアフ島
・住所:2454 South Beretania StreetHonolulu, HI 96826
・営業時間:火~土 10:00 – 16:00
・その他:日本語ツアー&日本語ガイド3週間前までに要予約、毎月第2土曜日は入場無料
・HP:http://jcch.com/

戦艦ミズーリ記念館

戦艦ミズーリ記念館は歴史的なスポットであるパールハーバーにあります。太平洋戦争の降伏文書調印式が行われた場として有名。

・戦艦ミズーリ記念館
・オアフ島
・住所:63 Cowpens St, Honolulu, HI 96818
・営業時間:08:00 – 16:00(感謝祭・クリスマス・元日を除き毎日営業)
・HP:https://ussmissouri.org/jp/

まとめ

日本とハワイの歴史についてお話してきました。私たちがハワイにどこか懐かしさを感じるのは、移民の人たちが育ててくれた文化のおかげ。このような歴史を知ると、よりハワイが身近に感じられますね。